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There's a Riot Goin' On [ひとり言]

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以前もご紹介いたしました、このフィオナアップルバージョンのアクロス ザ ユニバース。
この動画を見ると思い出してしまうのが
1992年にアメリカ LAで起きましたロサンゼルス暴動。
実は僕、この時偶然にもLAに在住していたわけでありまして。

遠くであちこちに上がる火の手
テレビでは屋根の上に登って
機関銃を撃ちまくって自衛する店主の様子が度々放映されていました。
そしてまるで「波のように」暴徒の大集団がダウンタウンから押し寄せてきて
後は略奪の嵐。
暴動などというと、一種社会的な運動のような響きもありますが
ただの盗人の大集団といった様相。
この時に思ったのが
こういった極の場面に出てしまう人間性。
普段仲良くしていた人が
嬉しそうに盗んできた「戦利品」を僕に高々と見せてくれたり
また
普段、挨拶を交わすくらいで
「暗いやつ」くらいな認識だった人が
暴徒へたった一人で向かい、略奪を止めようとバッドを振り回していたり。
僕はと言えば
当時のルームメイトの働いていた店が自宅近所にあり
そこの略奪を食い止めようと、仲間を募り現場に赴いたものの
生まれてはじめて、至近距離から拳銃を発砲される目に。
ヒュン、ヒュンと音を立てて頭上を弾が飛び
戦慄のあまり、足は空回りしているかのようで
命からがら、自宅まで逃げ帰ったり。
この人間性には人種は一切関係なく
もう時効ではありますが、同じ日本人でも略奪に関わっていた輩もいました。
事件史などでは
黒人社会と白人社会、韓国系社会の摩擦が原因との見方が主ですが
現実としては、
盗人は人種関係なく一丸となっていましたし、
盗みに参加しない人もまた人種とは関係ありませんでした。
秩序に押さえられ、欲望を抑圧している人
秩序に押さえられているわけでなく、自らの美と正義を基にして、欲望をコントロールしている人
大まかに分けてこの二種類の人間性が
ああいった極の場面では露わになってしまうものなのだと思います。

もう一切、
奪うということなどから
無縁でいたい。
暴動などの非常事態だけでなく
普通に生きていても
世界は奪い合いに満ちているように感じます。
「奪ってくる」人は
少なからず、存在します。
巧妙に、一見友好的に、合法的に、知恵を絞り
「ルールを守り」
「奪ってくる」人たち。
競争は無くならず、
生物の存在原理だとしても
その渦中にいながらも
このPVのように
自分の小さな小径を祝福していたい。
そんな風に思ってしまうのです。

友達が少ないと思われてもいい
参加しない卑怯者と思われてもいい
目立たなくていい。
自分が素直に同意できないものには
ヘッドフォンをかけて
雑音を遮断し
ただ静かに
好きな歌でも聞いていたい。













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