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 [ひとり言]

先日は所用で「街」へ。
普段見慣れている海や山、樹々たちの代わりに
コンクリートの建造物や沢山の車、沢山の人。
目が回り、キョロキョロしてしまいます。
なんだかすっかり、
「田舎者」になった感じがします(笑)
今、僕たち家族が暮らす集落はおよそ100世帯ほどでしょうか。
このくらいの規模ですと、何となくその成り立ちが
僕なりに想像出来るのです。
ですが、
いわゆる都会と言われる場所が
何故こんなにも沢山の人びとが集まることになったのか、
全く想像が出来ません。
東京などは
地震や空襲などで
壊滅的被害を受けながらも、
不死鳥のごとく復活し、
今や世界1、2位を争う大都市として
発展し続けています。
このエネルギーは何なのだろうと思います。
関東大震災や東京大空襲後の写真などを見ますと
ここまで破壊されたなら、
むしろ
「他の場所へ首都を移そう」
という話になってもおかしくないと思うのですが、
不思議とそうならず、復興し、
むしろその後、発展している。
これは阪神大震災の時に
甚大な被害を受けた神戸にも同じことを感じました。
テレビの画面に映る、
震災発生時の神戸は
まるで戦争の真っ只中のような状況でしたが、
ここ中島に移住してから
たまに訪れるようになった神戸市は
モダンに整い
素晴らしい都市と感じました。
その昔、
勝海舟が神戸海軍操練所を建設した当時は
寂れた漁村であったという神戸。
約150年を経て、
人口約150万人。
う~ん。
このエネルギーはいったい何なのでしょうか。


僕ら家族が暮らします、宇和間という地区。
僕が想像しますところ、
中島への最初の上陸者は
最初は一所に集合し、
一つの集落からのスタートだったのではないかと推測しています。
それが段々に発展、人口も増えたところで
「俺たちは、よそへ移る」
とある程度の人数がある日、
主流派への決別を突き付けたのではないかなぁ~
などと想像してしまいます。
そしてそれが、何度か繰り返されての
今の状況

大浦、小浜、長師、宮野、神浦、宇和間、熊田、吉木、饒、畑里、大泊、粟井の

各地区なのではないかなぁなどと勝手に思います。
それはまるで、
子供たちが成長し、巣立ち、
新たなる場所で自分たちの家庭を築くがごとく、
極自然な成り行きであったのではないでしょうか。

久しぶりに
コンクリートの建造物が立ち並ぶ街へ行くと
都会で暮らしていた頃には
全く違う見方でその町並みを感じてしまいます。
それはまるで
東京にいた頃、
たまに旅行先などで見る海や山などから感じる
「普段見ないもの」
に対する新鮮な驚きに似ています。
あっ
もはや立派な
いなかっぺ大将!(笑)









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