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樹を切る時 [島暮らし]

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樹を切る時
正直なところ実は、罪悪感があります。
みずたま農園は只今、開拓、植樹で大忙しでして
長い間、沢山の人を潤したであろう、
恐らくは僕よりも「年上」な柑橘の木々を
日々チェーンソーで伐採し、苗を植えるための準備をしています。
僕は完全に無宗教な人間なのですが
「畏れ」みたいなものは何となく感じるタイプでして
植物と言えど、生きている樹を「殺す」ということは
正直、畏れを感じますし
作業しているときには
ひたすら「祈って」樹を切っています。
偽善者めいていると思われる方もいらっしゃると思いますが
そうでもしないと息の根を止めるという作業は
僕にはできません。
以前、
防風林の伐採作業をしているとき、
曲がった枝がその押さえが何かの拍子で外れて
唸りを上げて僕の顔面に直撃したことがありました。
その時は何となく、
イケイケな感じで、前述した祈りなどせず
力任せに樹を「ぶった切って」いたのですが
漠然と植物からの反撃を受けたように感じました。
あの時など当たり所によっては
失明していてもおかしくはなかったと思います。

樹を切る時
「今までありがとうございます。この地をきっとまた新しく実りある土地にします」
といったようなことを念じながら
チェーンソーを操っています。
そもそもチェーンソー自体、とても危険な代物でして
今日なども危うく指をえぐるところでした。
それもそのはずでして
チェーンソーは言い方を変えれば
植物を「殺す」道具なわけです。
自らの手で植物を死に至らしめる時、
また自らも同じく死に向かっている存在だということに
いやがおうにも気がつくことになり
やはり祈り無くしての伐採は今の僕にはありえません。

先日、かつて地球上には
樹しかなかった、という論文を読みました。
氷河期か来て、樹の存在が危ぶまれたときに
荒れた大地を耕すために「草」が生まれた、とありました。
その誕生の順番が逆だと思っていた僕は
植物に触れる日々であることも手伝って、非常に面白く感じました。

そして明日もまた
樹を切らねばなりません。








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