SSブログ

RE:経緯 その一 ~3.11後の世界で~ [プロローグ]


PIC_0976 (595x443).jpg


今回の移住、私と夫で、視点の違う部分多々もあります。
せっかく夫婦仲良く更新しているブログなので、
夫と妻、それぞれの目線を比較して読んでいただけると面白いかと思い、
主人の書いたプロローグ日記に併せて、
妻視点での日記も書いてみたいと思います。

少し前置きが長くなりますが。

私が、移住に至った経緯を辿れば・・・
助産院での長女出産や、
自主保育での子育て、
いや、もっと遡れば、私の生い立ちや、前世にまでも
遡れそうな気がしますが(笑)

やはり、あの日が大きな堺になったのでしょう。。。

「3.11」

私はあの日、長女・次女の2人を連れて、
朝から、首都圏の自主保育を繋ぐネットーワークである
”しんぽれん”の定例会に参加するため、
世田谷は羽根木公園の、プレーパークにいました。

羽根木プレーパークには、実は、独身時代に一度、
ガムランコンサートを聴きに、一人訪れたことがあって、
(日程を間違えていて、やっていたのはタイの影絵でしたが・・
通称”サザエさん”の、私の人生こんなんばっかりです(汗))
その時、その場の持つ、異様に懐かしい匂い!?に驚き、
そこが、プレーパークなる、子供の遊び場だと知ってドキドキしたことを、
母になり、自主保育やプレーパークに興味を持つようになって思い出し、
改めて興奮したものです。

プレーパークとは、

「自分の責任で自由に遊ぶ」 
はたまた
「心が折れるくらいなら、骨が折れたほうがましだ!」

などのモットーを掲げ、日本各地で繰り広げられている
こどものための遊び場です。

子ども達が自由に火を熾したり、廃材を使って秘密基地を作ったり、
モチロン、どんなに泥んこになったって叱る大人はいません。

羽根木公園プレーパークにも、子ども達が作った、
沢山の、見事な秘密基地が立ち並び、
以前訪れた時にも増して、
子供時代にタイムスリップしたような、不思議な時間が流れていました。
私が大切にしている感覚のひとつに”なつかしさ”というものがあって、
これまで歩いてきた道の中で、”なつかしさ”というものは、
いつも、道しるべになっていたような、そんな気がするのです。

朝からのしんぽれん定例会が終わった後、
プレーパークでこども達と遊び、
泥んこになった洋服を着替えていたところで、地震は起きました。

地震については、今改めて書くまでもないような気がしますが、
今までに体験したことのない揺れに、
大変なことがおこったのだということだけは、はっきりとわかりました。

ただ、不思議なぐらいに、私は不安を感じませんでした。
うまく言えないのですが、あのプレーパークという場が持つ、懐かしい空気。
そして、そこに集う人たちに、深く関係があるように思えました。
ここにいれば、大丈夫。そう心から、思ったんです。

しかし、2人の子供を連れ、電車を乗り継ぎ
2時間ほどかけて羽根木まで来ていた私は、
これは、帰れないかも・・・・と、直感で感じ、
とりあえず、駅に急ぎました。





会社から歩いて実家に車を借りに行き、
渋滞で全く動かない道を越えて、夫が迎えに来てくれたのは、
それから何時間後のことだったでしょうか。

徒歩で家路を急ぐ人たちの波に追い抜かされながら、
車載モニターで、私達が見たものは、
今までに見たこともない、戦慄の映像でした。

あまりに現実感がなくて、映画みたいだなって、思いました。
うそなんじゃないかって。うそだったらいいのにって。

そして、原発の事故のニュース。
福島に縁があり、一時は移住の話もしていた福島に、
原発があったことすら知らなかった私達。
この時には、まだ何も、知らなかった私達。


震災は、私にとってあまりにもショックな出来事で、
目の前の子育てでせいいっぱいで、
何も出来ない自分をふがいなく思うと同時に、
ただ、ひそかに心に決めたことがありました。

それは、3.11を、自分の出発点にすること。

3.11を機に、気づいてしまった、沢山のこと。
溢れ出す、たくさんの想い。

それをもとに、何か、前向きで大きな一歩を、踏み出すことを。

それを思うたび、いつも、私はなんであの時、
あの場所にいたんだろう。
あの場所は、どこに繋がっているんだろう、そう、思っていました。


あ れ か ら、

震災の直後に長男を身ごもったこともあり、
それまで、大切にしていたはずの”お外で遊ぶこと”は、
迷いの連続でした。

雨の中で遊ぶこと。
木の実を食べること。
落ち葉で遊ぶこと。
砂や土で遊ぶこと。
草原に寝転び、空を見上げること。

そんな、それまで大切にしていた何気ないひとこまひとこまが、
不安でたまらなかった。

大丈夫?本当に、本当に大丈夫?

どう思う?そう仲間と確認し合いながら、
一歩一歩、歩いていました。

それでも。
それでも。

やっぱり自然は美しく、偉大で。
かけがえのないものでした。

ここで、生きよう!めいっぱい、生きよう!
そう、覚悟を決めたのは、長男が生まれてからのことだったでしょうか。

仲間達と、子ども達の成長を見守りあいながら、
忘れていたことを大切なことを思い出すような、あたたかい場所を作ろう。
何か、大切なものを、この手で作りだそう!ここで!!
そう、思うようになりました。

この世が、弱いものを守るように出来ていないのならば、
自分の手で、守らなきゃ。

そんな想いから、

脱原発の活動に参加したり、
福島の子供達の保養プロジェクトに、ささやかながら手伝いをしたりもしたり。

ここでやっと、主人の日記とリンクしますが。

RE:経緯 その一 

主人が、仕事をやめたいと言った日。

その日、私は、自主保育の仲間主催の、
鎌仲ひとみ監督の「六ヶ所村ラプソディ」の上映会を行っていました。

六ヶ所村ラプソディとは、
青森県の六ヶ所村に建設された使用済み核燃料処理施設の周辺地域で暮らす
人々を取材したリアルなドキュメンタリー映画で、

私は、この映画を見て、
「誰かの犠牲の上に成り立っているような、豊かな暮らしは、もういらない。」
そう、確かに、思ったんです。

だけど、私はずっと、ずっと、気づいていました。
結婚してから、私達を守るために、
自分の歩むべき道ではない道を、必死に歩こうとしている、
主人の存在を。

結婚して、母になってから、自分の生きるべき道を
おぼろながら思い出し、大切な何かを取り戻そうと、自分に正直に生きてきた私。
子供と過ごす毎日は本当に楽しく、
わずかながら、社会貢献すらしているような気がして、
少しばかり勘違いし、大切なことを忘れていたのかもしれません。

男だから、大人だから、父親だから。
自分を捨てて生きるのなんて当たり前って思う人もいるかもしれません。

でも、それって、本当に!?

本当に!?

それは本当に、幸せなことですか!?

こどもにとって、あなたにとって。

「いいよ」
と二つ返事で答えたのは、
来るべき時が来たのを、ただ感じたからなのかもしれません。
愛する家族と手をとり、大いなる一歩を踏み出す、その時が来たのを。

nice!(1)  コメント(0)  トラックバック(0) 

nice! 1

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

みんなでお迎え総会! ブログトップ

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。