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 [島暮らし]

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農家となり、
日々農作業をして大地からの恵みを得て、
また時に
離島という土地柄、
魚や貝、海草など
海からの恵みを得て、
そして
薪を燃やして風呂に入り、
井戸水をポンプでくみ上げる。
そんな生活をしておりますと
殺生が自然、身近です。
柑橘農家として、
最大の敵の一つであります
ゴマダラカミキリ。
地元では天牛と申しますが
この虫などは、
見つけ次第、
瞬殺です。
首をひねり、もぎます。
移住当初は
これに慣れず・・・・。
ビクビクしながらやっていました。
じゃあ今は慣れたのか、
と言われればそうなのかも知れませんが
大げさに言うなら
多少の無常観めいた、
悟りのような感触を
その行為に感じたりします。
と申しますか、
サディスティックな感覚では
暴力的な感覚ではないような
そんな気がします。
ゴマダラカミキリが交尾をしています。
東京にいたころの僕ならば
「祝福中」の彼らを引き離し、
互いの首をもぐなどということは
発想すらなかったと思います。
ゴマダラカミキリは交尾後、
樹に卵を産み付けます。
そして孵化した幼虫は
樹の中にもぐり込み、
幹を食い荒らしていきます。
これをやられてしまいますと
最悪の場合、
樹は立ち枯れてしまいます。
僕が柑橘農家として、
生計を立てるために
僕の個人的な理由のために
殺生をするわけです。
僕がカミキリのクビをもぐ時、
いつか、
自分の番も来る。
そんな風に思うこともありますし、
以前ならば
それが酷く恐ろしいことに思えていましたが
事実、今でも恐ろしいのですが
ですが、
矛盾するようですが
極当たり前のこととも感じてしまいます。
カミキリムシだけではありません。
死んだ子供のイノシシを埋める時の脚を持ち上げる感触、滴り落ちる血。
草刈機であやまってヒキガエルを切ってしまい、
動かなくなるときのカエルの目。
自宅のトリモチにかかったネズミが身をよじってキーキーと泣き叫ぶ声。
釣り上げた魚を「〆て」動かなくなる瞬間。
都会に住んでいたころには
どれも経験することがなかったことです。
地球上の食物連鎖の頂点にいる人間の生活を成り立たせるためには
天文学的な量の生命の犠牲が、残念ながら欠かせない。
そんな風にも思います。
都会で暮らしておりますと、
その全ては誰かの手で「任務遂行」された後の
「食べ物」になった状態で手に入れられるために
忘れられがちな事とは思いますが、
初めから、「食べ物」である生き物など存在し得なく、
そこには
生と死の
生物と食べ物との
ハッキリとした境界線が存在し
そして
たとえ農作物と言えど
収穫して「食べ物」になるまでには幾多の生命の犠牲は避けて通れないものと感じます。

時代劇や、歴史小説などでは
「武士の情けである」
とし、合戦の相手の首をハネるシーンがあります。
あれは本当にやさしさだなぁ。
などと思います。









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