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未来設計図 [畑]

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現代農法。
果樹の営農一つとっても様々なやり方、育て方があり
剪定、摘果、土作り、植樹、雑草対策、害虫対策、収穫方法、予措のやり方、販売方法
果樹農家にとって一年を通して当たり前の作業も
人によってその考え方や哲学は本当に色々なものがあると思います。
文献やネットで、飛び交う多量な情報。
それらを読んだり、調べたりしていると
何か一人前の農家になったような、
そんな気になったりする時もありますが・・・・。

子供についての育児書や、育児に関するネットでの情報は
巷に満ち溢れています。
「こうすると、情操教育に良い」
「やさしい子に、皆に好かれる子に育てる」
「子供のアトピーはこうして治す」
「頭の良い子にするには」
親心をそそるコピーが僕の脳を直撃し
ついつい、その記事を読んでしまったり
書店などで手に取ってみたりしてしまいます。
ですが・・・・・。
子育てとはそんな小理屈を並べて
理論尽くめでするものでしょうか。
「こうすると、こうなる」
の様に、
計算のように、
成り立つものなのでしょうか。
僕達親が、子供を大きく成長させているのでしょうか。
子供たちはその持って生まれた生命力のままに
自らの力で大きく、成長していくのではないでしょうか。

子育てをしている上で思うこと
それは
「正解」の難しさ。
早期教育などは、
特殊な技能を身につけることを目的とするなら
周知のとおりそれは必須であり
そのことにおいてはそれは正解とも言えます。

その子の一生というスパンで考えるとき
そこにある種「子供らしい」日々を犠牲にしている面もあり
そのことが将来、子供の幸せにどう関わっていくかは
誰にも分からないところであるとも思います。
また奇跡的な成功を成し遂げる人は
幼い頃、家庭的に恵まれない環境にいた人が
少なくなく、
教育学的には最悪な環境で生まれ育っても
ものの見事にそれを反発力に換えて
自らの幸せを勝ち取ってゆくというということもあります。

何と申しますか、
農法のことについて
語り合うつもりもなければ、語るつもりもありません。
自分の畑を観察した上で
完全に独学、自己流でやろうと思っています。
僕の書いた農業での
「未来設計図」の基本は
とにかく「植える」こと。
それに始まり、それに終わる
といった感じでしょうか。
ヘタな鉄砲、数撃ちゃ当たる。
正解も不正解も、その模索の必要すらなく
5000本の苗木を植えれば
ヘタな理屈など全て吹っ飛び
その中で一定の割合で枯れる樹は当然あるものの
育って立派な実を生らす樹もまた当然あるわけです。
設計図とも言えないくらいの野放図さではありますが
これが僕の未来設計図なわけです。
どんなに早くともその結果が出るのは
今から5~6年後くらいからではありますが
その間
なんとか食いつなぎ、
この一念を貫いてやる。
そんな風に思っております。
様々なリスクや障害が予想されます。

それは考えてみれば当然なわけでして
むしろ、
全身全霊、全財産を賭けて
この勝負へ挑めることにただ感謝
なのです。

先日、開墾し伐採した甘夏の樹は推定樹齢60年。
今年僕達が植えた木々たちは
恐らく、僕達の死後もこの地に根を下ろし
その実が誰かの喉を潤すのだ、
と想像するとき、
偶然選んだ果樹農家ではありますが
「果樹でよかった」
と思いました。
このあたりは野菜や田んぼと
全く違う
樹の持っている偉大さが感じられるのです。










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