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殺生 [ひとり言]

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中島へ来て農業を始めてから、生き物を殺す機会が
もの凄く増えました。
雑草といえど生きているので、それら名もない植物を含むと
毎日、毎日何かしらの命を奪っている自分に気がつきます。
東京にいたときは
草を刈ることもなく、
魚を釣ることもなく
カミキリムシの首をもぐこともなく
「殺す」ものなど蚊ぐらいのもので
殺生などというものは日常にあまり存在しませんでした。

先日、ツバメの雛が死にました。
親に落とされたのか、
兄弟たちに落とされたのか
自分のミスなのか
真相はわかりません。
が、
弱肉強食という言葉が頭に浮かびます。
梅崎春生の小説「蜆」を思い出します。
雛が一羽減って、
ほかの兄弟たちの食い扶持は少し増えるわけです。
巣の中のスペースも少し増え広くなるわけです。
間接的とはいえ
まさしくその死が兄弟たちの血肉になっていると感じます。

また少し前の話ですが、
畑で下半身が骨になった
見るも無残なイノシシの子供の死体を見ました。
カラスにでもつつかれたのか
骨盤がむき出しになり
ハエがたかっていました。
イノシシは害獣で
中島でも農作物を荒らし問題になっています。
弱肉強食の掟からすれば
自らのテリトリー = 畑を侵害する生物が
成獣になる前に死んだのですから
喜ぶべきことではあるのです 、が。

生物である以上
殺生無しに
生きることは
残念ながらできません。
この辺りは
宗教も僕にとっては無力で、
また開き直って
「いただきます」
とも言えません。
ただ呆然と
なすすべなく傍観しているといったところでしょうか。
殺生をする機会が増えるということで
他の命を奪うということで
否が応でも自分もまた命を奪われる存在であることに
気がつかされてしまいます。
今の自分には
それは恐ろしいことではあるのですが
年齢を重ねていくと
それは極自然な現象として感じるようになるのでしょうか。

人間が想像できることは全て創造できる。
的な言葉を何かで読んだことがあります。
この言葉が真実ならば
殺生なくして成り立つような
たとえば科学的に合成された食料なのだが
健康も害さず
あらゆる既存の作物(食肉や魚介類なども含む)を再現し
安価で
無限増殖でき、
そして美味しい
そんな食べ物がもし発明されたなら。
人類の未来も明るいのかな。
あっでも
そんなものが発明されてしまっては
我が家は失業・・・・・・・・(笑)







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