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ありがたいお話 [畑]

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僕は基本、年功序列が好きであり
特に年上に対しての話の聞き方、態度などは幼い頃から
徹底的に父に教え込まれてきたせいか
人間関係において何よりも優先されるべきものとして
認識しており、その面においては典型的な一時代前の
ステレオタイプ、フツーな人だと思います。
が、世知辛い世の中は今や実力主義、能力主義へと
序列体系をシフトし、僕の価値観などは
時代遅れな勘違いな、反資本主義的な「正しくない」
ものとして認識している人も沢山いることと思います。
が、やはり僕は「歳など関係ない」とは感じることができません。
ある場面、局面において自然に性別や国境や年齢の垣根が
取り払われることがあっても、
それは一種の祝福であり、基本、ある秩序の中で
序列を運営していくのは人間にとって不可避と感じます。
厳密にはフラットなどありえない。
その中で年功序列はそれなりの「やさしさ」を含んだ
制度だと思いますが、
そんなことを言っても現在の日本社会においては
「負け組」としてカテゴライズされてしまうのでしょう。

島へ来て良かったなぁと感じることの一つに
以外と年功序列が生きていて、その価値観が評価される
ということです。
僕からすると普通に備わっている、年功序列という価値観ですが
はっきり言って東京にいた当時は
あまり評価はされなかったかも知れません。
むしろその逆に年齢や性別などを自由に行き来する
人格や価値観の方が評価されるのではないでしょうか。
客観的に見ると
僕の価値観は不恰好であり、野暮ったく
スマートさや抜け目の無さは皆無と言ってもいいと思います。
ですが島ではその辺りが逆に評価される面もあるのか
まったく計算をしていなかった部分だけに、
素朴に嬉しかったりします。

例えば200人の人がいて
その200人で何かをしなければいけないときに
能力、実力でその序列を決定することは
一見、公平で正しいようにも思えますが
その争いは常に止まることなく
かえって混乱を呼び、組織としての動きが滞ってしまうのではないでしょうか。
年齢というものは不動で
生きている限り、その上下が逆転することはありえないわけです。
そもそも人間は争いや競争は避けて通れず、
常に不確定な状況で生きているわけですから
一つくらい不動なものがその関係性の中で重視されても
間違いではないと思うのですが・・・・・・・・。
地区の総会などに出席すると
年長者が堂々とイニシアチブを取り
また粛々とそれを支えている島の年功序列を見ていると
やはり僕はこの方が良いなと思います。

先日、畑で大先輩農家であるTさんに話しかけられました。
丁度、摘果を初めてやる日だったので
色々と質問をさせて頂きました。
その中で
「特別なやり方などない。ただ普通に草を刈って、観察する。
そうしたら自然と分かるようになるよ。」
と教えて頂き、その後は宇和間地区の昔話などをしてもらいました。
中島で農家として成り立つためには 
地元地域との関係を最重要視して中島へ来ました。
その努力が少しづつ、少しづつ
花開くように感じられて、お話をし終わった後
静かな喜びがありました。

厳しかった父の躾が
いやでいやでたまらなかった時もありましたが
なんとなくそれが、身を助けてくれているような
そんな気がしてしまうのです~。
よっしゃ、頑張るぜ~!




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