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長女 [子ども達]

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うちの長女(7)
小学一年生。
基本おっとりさんだが突然激しく怒り出したりするところなど
僕そっくり(笑)
その顔が僕の妹の小さい頃にそっくり。
一度、母の幼い頃の古い写真を見たときも
どことなく似ていて、やはり血なのだなと思います。

生命は進化する。
長女を見ているとそんな風に思ってしまいます。
間違いなく彼女は僕よりも
あらゆる意味で進化していると思いますし
またそうあって欲しい。
ひとつ、ひとつ
どんなに小さいことでも
僕にできないことを
長女ができるようになったりするのが
追い越されるのが
嬉しくてたまりませんし、
また素直に彼女を尊敬してしまいます。
生まれたばかりの
なんにもしゃべれず、立てず、座れず、歩けなかった
彼女が
あの彼女が
誰にも起こされることなく
自分で目覚ましを止めて
起き上がり
学校へいく支度をしています。
僕などは
母に何度も起こされて
それでも遅刻ギリギリまで起きられないような
そんな子どもだったので
この事ひとつとっても
生命は進化する
と感じてしまいます。(笑)

ああ、僕の娘だなと思うとき
それは内に秘めた、今はもう死語というべき「ど根性」
を彼女に感じるとき。
僕は自分の内で決めたことは
何人たりともそれを侵すことは不可能であり
絶対に正しく、また尊重されるべきと
最近強く信じています。
彼女の中にそんな偏った頑固さを見るとき、
思わず、
それでいいんだよ
と言いたくなってしまいます。
人々は外野でいろいろな勝手なことを
無責任に言い放ちます。
だけどその人の立場に立っているのは
結局世界でその人だけであり、
絶対唯一の存在であるからには
共通のマニュアルなどあるはずもなく
それ故極論ですが
生きることの大局において必要なのは
「ど根性」と「頑固さ」とほんの少しの「協調する心」
だと今は思っています。
多少逆説的な考えになりますが
頑固さを持ってシビアに生きるその先に
本当の意味での他者への理解や思いやりがあるのではないでしょうか。
思いやる心や、協調する心を
いくらマニュアルに則って教え込んでも
それではただただ自らの利益のためだけにそうする
利己的な人間が増えるだけのような気がします。
幼い頃の僕は正しくそんな人間だったように思います。
そんな僕が数々の経験を元にして
築き上げた今の価値観ですが
子ども達はそこがスタートになる
と思っています。
スタートする位置が世代、世代と進むに連れてどんどん
正しい位置に近づいている
僕はそう信じています。
それ故に生命は必然的に進化するのではないでしょうか。

僕も、僕の母も疲れが目にでます。
遺伝したのか長女もそうで
ここのところずっと腫れぼったい目をしています。
自分を律して
慣れない環境で
元気良く振舞っている彼女の存在は
日々
僕に「生きる理由」を強烈に明示してくれています。

明日は金曜日
仕事もご飯もお風呂も全部早めに済まして
布団をひいて寝る準備をしたら
「ももたろう電鉄」をみんなでやろーーーう!

おーーーう!



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