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経緯 その十 中島初上陸 [プロローグ]

PIC_2013.JPG


20代の頃は
オートバイが好きで、よく遠出をした。
衝動的に遠くまで行きたくなり
夜中に出発、高速道路を500~600キロくらいは
なんの苦もなく走れた。
その時の経験から
夜の道路は空いている、
そんなイメージだけで夜の出発を決めた。
東京~愛媛 グーグルで検索して約800キロ。
まあ行けるだろうと軽い気持ちで
20:00過ぎ、僕らは近くのインターから
とりあえず中央道、大月Jctを目指した。
この日、体調は優れなかった。
この時点、僕個人としては
中島への移住は反対に近かった。
だけど正解をはじき出すには
思想だけでは足りず、行動とハプニングが
プラスして必要なのだと知っていた。
何かに当たってみないことには
ハプニングそのものは起こりえず、
そして本当の進むべき道はハプニングが起きた後
自然に浮かび上がってくるものと強く信じていた。
あの時、実は半分嫌がる自分をねじ伏せるようにして
アクセルを踏んでいた。
この時点で僕は全くの無職。
妻と三人の子どもを抱えて
不安のあまり
発狂寸前の瞬間もあった。
その気持ちを薄皮一枚で正気と並行させる。
ここが勝負時と心得た。
挑戦するなら、安全を最優先にはできない。
だが同時に
一刻も早く「給料をもらって」生活する自分に戻りたい。
そんな願望が僕にブレーキをかけるようにも感じて
気持ちは常に揺れ動く。
もともと体調も悪かったせいか
異常な疲労感を覚えながら僕は中央道を走っていた。

大月JCTから富士方面へ進路を変え、
富士五湖道路、国道138号線を経由して東名高速へ。
あとは→伊勢湾岸自動車道→新名神高速道路
→名神高速道路と来て京都に入ったのが
2:00AMくらいだっただろうか。
驚くほどの大型トラックの量。
僕が若かった頃と物流のシステムが変化したのか
たまたまこの日が混んでいたのかは不明だが
スピードものらず、またテールランプ等の乱反射などで
目も疲れ
眠気と合わせて危険な状態となったため
急遽京都東インターで降りて簡易宿で一泊することに。
転がり込むようにして部屋へ入ったのだが
何かが僕の中で昂り、極度の疲労を感じつつも
すぐに熟睡できなかった。
それでも三時間ほど眠ったのだろうか
再び運転を再開、した矢先
渋滞。渋滞。渋滞。
吹田市付近どこもかしこも大渋滞。
丁度、谷の底のような格好で高速道路が走っているために
他の一般道を見上げる形になっていて
その一般道も渋滞。渋滞。渋滞。
今思い出してみると、今回の移住計画、最大のピンチ場面とも。
あの時ばかりは家族と話すのも苦痛に感じるほど
心は平静を失っていた。

結局なんとか普通に車が流れ出したのは山陽道に入ってからで
スピードは上がっていくものの、
テンションは全く上がらず、疲労と眠気と、そして
最大の敵、自らの弱気との終わりの見えない闘いが
続いていた。
そしてほとんど戦意喪失、ただ惰性だけで先へと進んでいた時、
僕の目の前に瀬戸大橋がその雄姿を現した。
与島PAでの休憩時、そこからは瀬戸内の島々が見渡せた。
この日、全国的な猛暑で与島PAもやはり暑く
子ども達はPAのサービスで、霧状に噴霧されているシャワーの下を
歓声を上げて何度も行ったり来たりしていた。
もう一歩、もう一歩先へ。
ギリギリのラインで僕はまた先へと進むことが出来た。
それは瀬戸内の島々の美しい風景が、
理屈抜きで
僕に力を与えてくれたのだと今は思う。

三津浜港に到着、中島行のフェリーに車を載せ、
デッキに上がったころには
僕はある種、「真っ白な」気持ちになっていた。
兎に角にも辿り付いた
そんな気持ちだった。
そしてそんな僕の目の前に中島が見えてきた。


続く













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